「夢みる小学校」を観て

教育

鉄は熱いうちに打て。映画を観て、その日のうちに書いておく。

ワイワイ
ワイワイ

寝かしつけに成功して、書く時間の確保に成功!やった!

どうして観ることになったか

 ずっとオンラインで顔を合わせている(最近は出れていない日も多いのだけど)にょんさんが、「枚方で自主上映会がしたい。みんなが無料で観られるようにクラファンにチャレンジする。」と言う。この映画に関しては、同じく仲間のまーくんの話題にもあがっていたりで興味があった。

 そこで、クラファンで少し支援+少しお手伝いできたらいいなぁ、と申し込む。そして、せっかくなので家族全員で参加することになった。

 映画の紹介は公式HPを見た方が分かりやすいので、こちら↓をどうぞ!

夢みる小学校 ミライの「公教育」がここにある。希望あふれる”教育変革ドキュメンタリー”。
楽しくなければ、学校じゃない宿題がない、テストがない、「先生」がいない。「きのくに子どもの村学園」の子どもたちは「プロジェクト」とよばれる体験学習の授業を通じて、自分たちでプロジェクトを運営し自らの頭で考えます。「楽しくなければ、学校じゃない」と、子どもの村のスタッフは口をそろえます。キラキラした目で笑顔で学ぶ小学生の...

観ながらしたメモ

  • 失敗できない
  • 気にしないようにしている
  • 子ども膝の上、のこぎり←これら指導対象
  • 責任は大人がとる
  • 今の学校の多くは合理的
  • 子どもの自由→難しい(理想通りいかない
  • 子どもも自由=大人も自由(裁量が任される
  • 楽しいだけでいい、あえてがんばらなくていいよというメッセージ
  • 体験学習は脳のOSを書き換える
  • きのくにと同じことを公立でもできる
  • 伊那小
  • 夢みる小学校、どんな夢をみる?
  • 修学旅行の計画、計算、交渉
  • 日本の子は質問できない
  • 品質
  • 問いは暮らしから生まれる
  • コロナの時の手紙、取り戻すのは学習でなく楽しい時間
  • 発達障害とは
  • 薬を飲まないという条件で入れる
  • 自分のしたいことが分からなかった初め
  • やりたいことをやって、そこから夢がうまれる

トークセッションに参加して

ワイワイ
ワイワイ

スタッフとしていたのだけど、人数調整というスタンスでグループに参加w

 このトークセッションまで残っている人はみんな、「語りたい何か」をもっているんだな。話し出すと話が止まらないって感じ。僕は全体の様子を感じつつ、他の二人の考えを聞いたり、つなげたり、えんたくんで記録したり。

 

<僕のグループの要約>

 教育は「競争」でない。映画の学校は、自分で未来を切り拓く教育。これが、人生の満足度を高める。そのためには、今の「枠(授業、試験、入試など)」を見直す必要がある(この「枠」が多くの人の情熱を消してしまっているのではないか)。

 また、子どもをはじめ、大人も自分で考えて動く必要がある。しかし、今の学校教育の現場ではそれができずに、文科省や委員会の駒として働いているだけ(に感じる)。

 ただ、こうしてこの場があるように、こうした受け皿が多くなりつつあることは希望。

 

 僕が唯一自分の考えとして出したのが「ゆとり」。教員としては、失敗や回り道を許容するゆとりがない。しっかり教材研究するゆとりがない。家庭は核家族・共働きが増え、子どもとゆっくり話をするゆとりがない。子どもも習い事でゆとりがない。

 こう書くと、みんないっぱいいっぱい。グループの方は「それは当たり前のことや。」と言っていたけど、ここを何とかしないと変わっていけないんじゃないかなぁ。そのためにできることは何だろう。

 

 「混ざる場」をつくることが、さっきの「ゆとり」を生むことにつながると思っている。今回のこの上映会&トークセッションも「混ざる場」の一つだと思う。多様な人たちの考えをフラットに聞き、尊重する場。

 

 そういった意味で、今回、少し残念だったのが、映画を観るだけの人が多かったこと。2時間もある映画だから、というのもあるのかな。うーん。教育について話すことは嫌(ハードルが高い)なのか。もちろん、あとになって醗酵していく、ということもあるだろうし。多様な参加の仕方があっていいのだけど。同じ空間で観た人がどのようなことを思ったのか、知りたいという願望もあった。

 

 知らない人との話し合いは苦手な人も多いだろうから(この前提こそ、これまでの、いわゆる日本の教育の賜かもしれないけど)、映画を観ながらチャットを打っていく参加方法、話し合いには参加せずにセッションしている様子を見る参加スタイル(フィッシュボウルみたいな?)などの提案があればもっといろいろな人の考えが混ざったのかな?

 

 それとも、午前映画→午後トークセッションという区切りより、開始時刻を早めて午前映画・セッション①→午後セッション②などにすることで混ざったのかもしれない。

 

 

ワイワイ
ワイワイ

多様な人が、多様な立場で、自分の考えが言える場。言っても大丈夫と思える場。関係。それをどうすればつくることができるんだろう。

感じた違和感

 ある参加者の先生が図工の話をしていた。「1枚の紙では絵が収まらない子もいる。紙を付け足してあげればいいですよね。」その話を聞いて、「めっちゃステキ!」と言っている保護者の方。

 でも、どこかで冷めている自分がいた。いかにもなことを言っているけど、そういったことは昔からやっている人はいる。子どもが紙の大きさを自分で選んで絵を描くということもある。

 ここで言いたいことは、どうしてそういったことをする先生が少ないのか。勉強(経験)不足?子どもの想いを受け止める度量不足?そういったこともあるかもしれないけど、それだけじゃないと思う。

 継ぎ足された紙・絵を見て「わぁ、ステキ!」と思う人と「うちの子だけなんではみ出てんの?」と思う人。受け止め方は様々。だったら、みんな同じように整っていれば文句はでないでしょ、って感じ。(これを書いていて、住民の声で公園が廃止になった例を思いだした。)こう考えた時、悪いのは学校(教師)なのか。こういったことになっているのはなぜなのか。

 誰が悪いとかじゃないけど、現状いろいろなことが複雑に絡み合っているのだと思う。だからこそ、違和感をもった人が声をあげ、それを話し合う場を、対話を重ねて一つひとつほどいていくしかないと思う。だから、みんなで混ざる必要がある。同じ人でかたまるのじゃなくて。

おわりに

 とても多くのことを考えた一日になった。

 「きのくに子どもの村学園」は5か所ある。堀さんは順番に巡っている。それはどうしてだろう?

 以前にも自由教育運動が盛んになり「きのくに子どもの村学園」は注目されている(と思う。初任の時に退職される方が言っていた気がするから)のに、なぜ5か所にとどまったのだろう。

 今の枠組みの中でできることは何だろう。今日一緒に来てくれた妻に「あなたは何になりたいの?」とまた言われたけど、何者かになりたいわけでなく、現場に立つ一人の人間として、よりよい実践がしていけるといいなぁとしか思っていない。

 休みの日までこんなイベントに参加して、変態やな、とも言われた。これが普通の感覚なんだろうと思うと同時に、気軽に教育について話せる機会ってやっぱり少ないんやなぁと再認識した一日。

 夢が人によって違うように、よりよい人生ってのも人によって違うし、だからこそ、教育もそれぞれで、「他人の教育に口を出さんとこ!」って気持ちもある。そして、孤立していくんだろうな。今の社会、そのままだ。これを書いていて、『やりすぎ教育』を思いだした。(厳密には、混ざるのあたりから)

ワイワイ
ワイワイ

帰宅後、娘が眼鏡を前日のスイミングで忘れていることが発覚。怒られるのが怖くて言えなかったらしい。「失敗して大きくなるし、大丈夫。」とは言ってあげられず、怒ってしまう。(でも、その場を離れ、ヒートアップしなかっただけ成長したと自分では思っている。)修業が足りん。

 

 何にせよ、無料でみんなが見れるようにクラファンに挑戦し、本当に上映会を実現させた、にょんさんはじめ、けんちゃん(今回初めましてだけど)たち、すごい!!お疲れ様でした!そして、ありがとうございました!楽しかったです:)

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