正解

教育

子どもたちに「学ばなきゃ!」と言っているが、自分はどうだろう。

学んでいないことはないと思う。
でも、それは与えられたものをこなして得た「学び」な気がしている。

自分自身は教員になるまでにどのような「学び」をしてきたのだろう。
考えてみると、学校という場では「宿題はここまで。」と指示されたもの、「テスト範囲はここまで。」と指示されたもの、つまり、言われるからやっているだけで、自分からやってくることはなかった。塾に行くようになってもそれは同じ。言われたことをやる。高校入試にしても採用試験にしても、与えられた課題を達成するためにやってきたものばかり。

と、ここまで書いて、「そもそも『学び』って何なのか?」という問いにぶつかった。

最近の自分は「勉強」でなく、「学習」や「学び」という言葉を使うように意識している。なぜなら、「勉強」には「勉めることを強いる」という意味が含まれているからだ。確かに、これまではそれでよかった。知識量がそのまま能力として判断される社会だったからだ。しかし、これからの社会はそうではいけないと言われている。もちろん、今も、である。

今回、新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために学校は休校を強いられた。子どもたちの「学ぶ」権利は奪われた。が、本当にそうなのだろうか。確かに「勉強」という点ではそうかもしれない。でも、一方で、今までより「学んでいる」子がいるとも考えている。

学校という場は、何をすべき場なのだろう。学校でしかできないことって何だろう。

今回の出来事を機会に、みんなで改めて考えなければならない。これまでと同じ時間を過ごしていても、何も変わらない。自分が周りを変えることは難しい。でも、自分を変えることは自分次第。何気なく流れていく考えをアウトプットすることは、思考を促すことにもつながる。

RADWINPSの「正解」という楽曲。NHKの「18祭」で流れているのをリアルタイムで見ていた。

あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない

出典: 正解/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

胸が締め付けられたことを覚えている。学校では確かに「答え」のある問いに答える練習をする時間が多い。だから、罪悪感のようなものを感じたのだろうか。今回、学校に来るという当たり前の生活が新型コロナウィルスによって、当たり前の生活でなくなった。少し先の未来でさえ、どうなるか分からないことを実感した。だからこそ、どんな時でも自分で「学び」を見つけて進んでいける子たちになってほしい。

私は、今のところ、答えのない問いに向かって、試行錯誤していくことこそ「学び」だと考える。だから、その試行錯誤を記録していくことにした。「正解」かどうかは分からないけど。皮肉にも休校が僕に行動を起こすきっかけを与えてくれた。

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