「一斉指導」か「自己調整学習」か。

教育

算数のTwitter上での議論

 僕は今年度、算数では「自由進度学習」を参考にして進めてきた。そして、今の学級の子どもたちの状態を考えて、「ミニレッスン」「ひたすら解く時間」「チェック」「ふりかえり」で組み立てている。だから、下のtweetを見た時に「そうだよね!」と賛同した。できた子は「赤ペン先生にはなっていない」けど概ね言いたいことは同じ。

 ところが、それに対して前田先生から以下のようなリツイートがあり、そこから議論が始まった。

 さらに、僕もお会いしたこともあり、とても尊敬している先生からの考えも投稿された。

 先生の算数の模擬授業に参加させていただいたことがある。新採のときだったかな?子どもの声を拾い、つなげていく。先生が楽しそうに子どもと一緒に答えを「発見」している姿は、今思えば「ジェネレーター」の姿そのものだ。市川力さんとの共通する何かを感じる。力さんの方が柔らかい雰囲気だけど、みんなを受容する雰囲気というか。

 その姿に憧れて、頭にあるイメージを大切に、子どもと答えを探す授業を目指して授業づくりに取り組んできた。しかし、自分の中で納得のいく授業に出あうことはできなかった。むしろ、できていない(自分の答えすらもつことの難しい)子に対して、できることはないのか、とずっと悩んできた。(もちろん、僕の力不足や学級を育てることができていなかったことはあると思う。)だから、同時に『学び合い』にも惹かれている自分がいることも認識していた。

それぞれの主張を自分なりに分析

 めがねさんと前田さんのやり取り、それに対する反応を見て、どちらも正論だと感じた。

 めがね旦那さんの主張は、『効率』『自己調整』がキーワードになってくる。

 「一斉授業=教師が話し続ける」と一般化しているから、反感を買われている部分はあると思うけど、教師の話す時間を減らすことで、子どもの習熟の時間を確保できるという点。塾で学んでいる子や少しの説明で理解できる子もいることを考えると、教師が説明し続けている一斉授業なら『効率が悪い』となる。

 算数は、答えや道筋は、他の教科に比べて、ある程度はっきりしている。できるようになることで苦手意識をもつ子どもが減ることも考えられる。体育などの実技授業と同じように、自分で学習の際の課題意識をもち、取り組む姿を想像すると近しいものがあると思っている。自分の学びをふり返り、「できなかった自分」を「できる自分」にするために、どうしていけばいいのか自分に問うことは『自己調整』の能力を育むのに適しているのではないだろうか。(この考えが、今年度自分が取り組んでいる理由としてある。)

 一方、前田さんの主張は、『ジェネレーター』の考えがキーワード。

 それぞれの「my discovery(自分の発見)」があって、それをジェネレーターである教師が面白がる。面白がりながら「my discovery」をたくさん出していく。面白がっていくとその空気は伝播する。知図を描きながら眺めて考えていると「our discovery(みんなの発見)」になる。それは、いつしかまた「my discovery(自分の発見)」となる。一つの公式や考えに至る紆余曲折をみんなで楽しむのである。(上記で上がっていた尊敬する先生は、模擬授業ではノートを見て回り、意図して指名していた。そして、前に考えを書かせた。書いてほしい部分も指示していた。)

 どちらも自分の中では、大切にしたい部分である。

僕の結論

 そもそもタイトルや僕の分析が正しいのか分からない。一般化しているために具体がないから、分からない。想像して、自分の経験や考えに寄せて書いて考えた。

 結論。算数だけで議論しても終わらない。どちらの主張も大切なことはみんなが分かっている。小学校はたくさんの教科を一人の担任が担当する。だから、例えば、算数で「効率」「自己調整」に偏ったなら、国語科で「ジェネレーター」の考えを多く取り入れるということができる。一つの教科だけでなく、もう少し視点を広げることで意外とすんなりと話は収まるのではないかと思った。(と、まとめつつ、科に対するこだわりはもちろんあるから、そう簡単にはいかないかも…(‘_’))

 今回、こうして議論が繰り広げられたおかげで、改めて自分の考えを整理することができた。あと、問題を解くだけならAIに云々のところは、授業で言えばそうだけど、それ以外の部分で教師としての新しい価値が創出されるべきだと思うので、今までの取り組んでいることは決して無駄になるとは思っていない。

 あと、今の算数の授業の構成は「作家の時間」と似ている。少し前にオンラインミーティングで自分のジレンマとして話したことなのだけど、学び手の「自由」と「責任」について、「教師」と「ジェネレーター」についての自分の考えをまとめることで、より自分のしなければならないことが明確になる気がしている。

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