「助産院」で産む③

出産

 これまで「助産院」で産むことにした経緯などについて、書いてきた。

 出産を終えて、赤ちゃんが家にやってきた。当然ながら、これまでの生活リズムとは違う。少しでも妻の支えになれればと思って、現在奮闘中!

 少し要領をつかんできたような気はするけど、生活リズムは不規則で、細切れの時間をどう使うか、って感じ。「寝かしつけた!」と思っても姉たちの元気な声や音で起きたり、寝れそうなのにしゃっくりが始まって寝れない、うんちをして眠気すっきり!など、思うようにいかない日々だけど、幸せを感じながら暮らせている。

ワイワイ
ワイワイ

どうすれば家族みんなが笑って過ごせるかを試行錯誤!

余裕がなくなってイライラしてしまうこともあるけど…。

 さて今回は、「助産院」で産んだときの様子を書き残していこうと思う。

「助産院」で産める週数は?

「経産婦ははやいからね」

 「第3子の出産。産道はできているから、産まれるとなったら、きっとはやいね。」助産師さんとそんなことを妻は話していた。

 助産院では、医療行為はできない。なので、早すぎる出産や遅い出産には対応できない。(おそらくリスクが高いし。)僕たちがお世話になる海助産院では、「41週まで」に出産ができていないと提携病院での出産、という約束だった。(助産院によっては「42週まで」というところもあるらしい。)

 妻は出産予定日よりもはやいことを想定し、長女の学童のお弁当や作り置きをたくさんしておくなど、家のことを少しずつ整えてくれていた。

妻の心配ごと

 妻の心配はいくつかあった。

  1. 僕の仕事
  2. 僕の誕生日
  3. おくるみの刺繍
  4. 新型コロナウイルス第7波

 まずは、予定日は夏休みだけど、それより早かった場合は僕の授業中に出産を迎える、ということもあり得る。第1に「家族に立ち合ってほしい」ということがあるけど、授業を抜けるには、それなりの段取り(時間)が必要になる。それが分かっているからこそ、「1学期終業式を終えるまでは待って!」という気持ちだった。

 次に、僕の誕生日。授業は終わっているし、月の満ち欠けのタイミング的にその日だった。ケーキを予約してくれていて、一緒に食べたかったらしい。それを食べれば「もう思い残すことはない!」という気持ち。

 そして、上の子2人にしてた「おくるみの刺繍」。3人目だからしないということは妻にとってあるまじき行為。ただし、これに関しては、お腹が圧迫されて夜に寝られないことから、思いのほか順調に進みはやく仕上げることができた。

 最後に、新型コロナウイルスの第7波。夏休みが近づくにつれて、僕の職場では一気に感染者が増え、学級閉鎖もいくつかの学級がなった。娘の通う園からも感染者の通知が頻繁にくる。そんな状況で、家族みんなが感染しないこと、濃厚接触者にならないことを願った。誰か一人でもなると、助産院で家族みんなが出産に立ち合うということができなくなるからだ。

無事に夏休みに突入

 妻の心配をよそに、夏休みに入った。ホッと一安心。妻は、お腹が重くて寝れないことや暑くて寝苦しいこと、自由に動くことができないことなどから、「はやく出ておいで~。」「いつでも出てきて大丈夫。」と産む気まんまん。

 約1ヶ月前には、宮川さんとあいこさんに家に来てもらって検診をした。「マットもあるし(子どもが遊ぶ用の敷くマット)、移動や持ち物のことを考えなくていいから、おうちの出産もいいかもね。」なんて話をしながら、検診を終えた。

 「もし夜中だったら、子どもが寝ているし大変だね。」「休日だと時間帯によっては道が少し混んでいるだろうから、到着の時間が読めないね。」と、少し自宅での出産についても考えたが、

 「汚れや片づけなんかが気になるかも。」「助産院へ行くことで、お産のスイッチが入るかも。」と、結局は助産院での出産が第一で、でも、自宅出産という選択肢も頭の片隅に残しておく、ということで落ち着いた。

家族みんなの出産

ワイワイ
ワイワイ

あれ?予定日までに産まれているはずだったんだけど…

 これまでは上記のことを心配していたけど、予定日を過ぎると違う心配が現れる。

新たな心配ごと

 そう。リミットを過ぎてしまうと、

 助産院で、家族みんなで立ち合いのもと出産することができない!!!!

 助産院は家から近いわけではない。提携病院も当然、家から遠い。何の思い入れもない。もちろん、病院からしても助産院で産むつもりだった妊婦に対する思い入れはないだろう。そんな病院で出産することになってしまうかもしれない、ということを妻は恐れていた。

 出産予定日。助産院での検診。内診もしてもらう。子宮口はずいぶん柔らかくなっているとのこと。そして、卵膜剥離(卵膜はがし?)もしてもらった。長女のときの経験もあり、痛さを覚悟していたようだが、そのときに比べると大丈夫だったとのこと。

「おしるし(出血)が出ると思うけど、これの影響だからね。」と教えてくれた。

そして、

「できれば使わずに済んでほしいのだけど、病院の紹介状を渡しておくね。」

 もし、このまま41週を迎えることになれば、病院で出産することになる。現状(妻と赤ちゃんの)を確認してもらうことと今後の予定を確認するということで、2日後に病院での検診の予定を入れた。

 あと、これまで妻は出産のときの体力を心配したり、体が重くて動くことはあまりしていなかった。だから、「産まれるときがきたらその時は大丈夫だから、お産のために体力を残しておこうとか考えなくていいからね。」とアドバイスをもらった。

 余談だけど、海助産院には、黒板塗料の壁もあり、子どもが落書きしていいようになっている。前回、落書きしたときにチョークの色が減っていることに気付き、買っておくことを約束してくれていた。今回行ったとき、あいこさんがチョークを用意してくれていた。

ここと、他にも大きな部屋の壁が黒板塗料で仕上げている
ワイワイ
ワイワイ

 大事にされているなぁと感じて嬉しかったな。そういえば、ワイワイ家が来るから、と落書きスペースをきれいにしてくれていた時も!ありがたい。あたたかい。

 この日から、お腹の中の赤ちゃんを刺激するために、夕方に家族みんなで散歩をすることになった。

リミット(病院出産になる)まで、あと5日

 娘2人は赤ちゃんの誕生をずっと待っていた。ところが、なかなか産まれてくれないので、下の子は「本当に産まれるのか?」くらいに思っていたかもしれない。

 毎日散歩をしても、お腹は下がっている気がしていても、まだ産まれる気配はない。病院での検診の日がやってきてしまった。「紹介状を使うことになってしまったなぁ。」なんて思いながら、病院へ一緒に行き、子どもたちと車で待つことにした。

 検診では、入院の説明を簡単にしてもらったらしい。42週の初日の10時に再度詳しい説明を受けて、その2日後には入院すること。出産は、第7波もあり、誰も立ち合えないということだった。

 予定日を過ぎて、妻のスマホには連絡が届くようになってきた。

 「もう産まれた?」「今日は産まれた?」

 みんな悪気は全くないが、ナーバスになっている妻にとっては、よくない連絡だったようだ。「まだだよ。いつ産まれるか分かるんだったら私が知りたい!」と言っていた。

リミットまで、あと4日

 病院での検診ではエコーと簡単な説明だけだったので、その翌日、助産院で再度内診してもらった。「子宮口は3cm(指2本)空いているかな?」という感じ。

 「やれることは全部やろう!」と宮川さんとあいこさん。

 スクワット、四股を踏む、階段の上り下り(伏見稲荷大社行けば?とか。)、お灸など、いろいろな提案をしてもらい、全部やっていくことにした。明後日の0時までに何もなければ、病院での出産。リミットはあと3日だ。

 この日の夜、妻は涙した。

「みんなで産みたいのに。出てきてくれなかったら一人で病院で産むことになる。」

 一通り弱音を吐いて、宮川さんの言葉を思い出し、夜の散歩へと出かけた。

リミットまで、あと3日

 出産予定日を過ぎてから、「今日は最後の散歩ね:)」「これが最後のマタニティフォト:)」と、何かについて「最後の○○」と言って、家族4人での食事や散歩などを楽しんでいた。(内心ドキドキ・ハラハラだけど。)

 この日の夕方「伏見桃山陵」へと、家族みんなで足を伸ばした散歩に出かけた。

ワイワイ
ワイワイ

伏見稲荷大社はさすがに観光地すぎるし、もっと近くに階段の上り下りができて、スピリチュアルなところはないかな。ランニングで行った「伏見桃山陵」がちょうどよさそう!って感じ。

こんな感じで階段がある

 無料の駐車場があって、そこに停めれば少し坂道を上がれば、すぐにこんな階段がある。ネットで調べると全部で230段あるらしい。(娘調べでは238段。笑)ランニングで来たときは「歩いたら負けだ!」と意気込んで上り始めたものの、10段ほどで意気消沈。歩いて上った。家族でこんな状況で来るとは、そのときは微塵も考えていなかった。

 妻はヒーヒー言いながら上りきり、ここでも「最後の」マタニティフォトを撮った。階段を下るのは怖かったので、回り道をして帰ることにした。たくさんの人が散歩している。立派な木の間をみんなでおしゃべりしながら歩いていった。

 あともう少し、というところで通り雨。笑えるくらいすごい勢いで降ってきた。木の下で雨宿りしていたが、雨雲レーダーを見ても止みそうになさそうだったから、僕が駐車場まで走ることに。500mくらい雨の中を全力疾走した。みんなびしょ濡れで車に乗り、大笑いしながら家に帰った。

 それでも、まだ産まれそうにない。これはいよいよまずいぞ、と思いながら眠りについた。

リミットまで、あと2日(48時間)

 この日もいつも通りの朝がやってきた。何も起きず。さてどうする?

 と言っても、いつも通り過ごすしかない。日中は暑いから、夕方になったら「また桃山陵に散歩に行こう!」ということだけは決まっていた。

 そして、ある意味予定通り、何も予兆はないまま、夕方になった。下の子は少し嫌がっていたけど桃山陵に出かけた。「今日は雨は降らないよね?」と笑いながら、みんなで坂道を上っていく。子どもたちはとっとと階段を駆け上る。途中、姉がトカゲを見つける。それを見に行く妹。結局逃げられてしまい、姉は妹を怒り、妹はすねる。まぁ、いつも通り(笑)

 「昨日と同じじゃダメだ!もう一回!」と、一度回り道(昨日とは違う道を)をして階段下へ戻り、再び階段を上る。妻は、後悔はしたくないという一心でがんばっていた。

 雨に降られることはなく、散歩終了。こうして4人で過ごす時間もあとわずか。「赤ちゃんはきっと、この時間をプレゼントしてくれたんだね。」と車で話しながら帰宅。お風呂に入り、ご飯を食べて、いつも通り子どもを寝かしつけにいく。時刻は午後9時。リミットまで、あと27時間となってしまった。

 夜中にごそごそと音がする。様子を見に寝室を出ると、妻が何やら準備をしていた。「(陣痛が)きたかも。」アプリで間隔を記録している。まだ余裕はあり、助産院へ連絡はしていない。行って、まだ子宮口が開いてない、と帰るようなことは避けたいので、もう少し様子をみることに。

 僕は心の中ではそわそわしながら、一緒に時間を過ごす。間隔は狭まっている気がする、ということで、宮川さんに連絡を入れる。やり取りをして、まだもう少し様子をみて、出るときに連絡をするということにする。

ワイワイ
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ここら辺は、妻の感覚次第。

助産院としては、いつでも来てくれてもOKという感じだった。

 出発をする決断をし、荷物を車に乗せる。子どもたちを起こす。「まだ寝たい。」という娘も寝ぼけながら車に乗り込む。午前4時頃。あたりはまだ暗い。子どもたちは、夜に出かけることはほとんどない(規則正しい生活&コロナにより外出する機会の減少)ので、電灯に照らされている道路を走るという経験が珍しくて楽しそうだった。しっかりと目が覚めたようだ。交通量は少なく、スムーズに助産院へと向かうことができた。

リミットまで、あと19時間

 無事、助産院へ到着。宮川さんに迎えられ、とりあえず2階の広い部屋へ。「ちょうど他の妊婦さんや利用者さんが誰もいないから、どこで産んでもいいし、何も気にすることはないよ!」とにこやかに話してくれる。あいこさんもすぐに駆けつけてくれて、「やらなきゃいけない仕事が終わった後で、今日は何もなかったからちょうどよかったよ!」と話してくれる。

ワイワイ
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その後のことを考えれば1階で産んでしまう方がいいけど、出産に家族と複数の助産師さんが参加するので、広さの方が重要だという判断だね。何を大事にするか、による。

 早速内診をしてもらうと、しっかりと子宮口が開いてきているとのこと。帰らされることはなさそうだ、とホッとする。子どもたちは、あいこさんとおしゃべりやお絵かきを楽しんでいる。

 「じゃあ、後は出てくるのを待つだけですね。」と僕が言うと、「私たちはずっと待つことしかできないからね。」と返事が返ってきた。すごく自然で、でも、子どもと妊婦さんの力を信じているというようなニュアンスが感じられて力強く感じた。

 僕たち家族はリラックスして過ごしていた。一体いつまでこの状態が続くのかな、と心のどこかで考えていると、宮川さんに「カメラの撮影しなくていいの?」と言われた。記録を残しておくことを希望し、ビデオカメラのセットはしていたけど、まだまだだろう、と撮影はしていなかった。しかし、どうやら、出産のときは近いらしい。僕には何も分からないけど、宮川さんには分かるらしい。驚きながら撮影を始める。

 妻が、「出産前に最後にトイレに行こうか」と話しながら動く準備をすると陣痛がきた。今は無理、と動きが止まる。四つん這いの状態で動けなくなった。ここで、子どもたちも母を見守る体制に。僕は頭の方で手を握り、励ます係(すごい力で痛いことはこれまでで経験済)。子どもたちは、うちわであおいだり、お茶を飲ましてあげたり、さすってあげたり、「がんばってるね!」って励ましたり、カメラで撮影したり役割を交代しながら参加していた。

 ずっとそばで助産師さんが僕たち家族に声をかけてくれている。このときには、3人の助産師さんと実習生さん(事前に了承していて、タイミングがあったので)がいてくれた。

ワイワイ
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 娘が手を握って応援しようとしたときに僕は、「骨が折れるからやめとき。」と言っていたらしい。「痛いから」って言ったつもりだったんだけどな。真相は分からない!笑

 あ、ビデオを見たらわかるかも。(まだ見ていない。)

 子どもが参加するかどうかの判断は、子どもに委ねられていた。事前に想像できる様子は伝えていた。怖かったりしたら、別室へ行くことも可能だったけど、多くの人に見守ってもらいながらだから、安心してこの場にいれたようだ。

いよいよ産まれる!

 四つん這いになり、陣痛に耐える妻。助産師さんたちは、妻に温かい声をかけ続けて、励ましてくれている。何度も陣痛を繰り返している。また陣痛がきたとき、「上手!上手!いいよ~!」と宮川さんの励ましに対して、「もう産もうとしていいの!?」という妻。「もういいんだよ!」と答えてもらうと、そこからはあっという間。

 「頭が見えてきたよ!」と宮川さん。そのタイミングで僕は妻の後ろへ回る。あいこさんが、「奥を見ていたら出てくるのが見えるからね!」と妻に伝える。妻は懸命にいきむ。

 …本当に頭が見える!あ!顔だ!もう一息!…出てきた!

 もう出てくる、ってとき、僕は、宮川さんに手伝ってもらいながら、一緒に赤ちゃんをキャッチした。(キャッチというより、受けととめる?)一瞬、赤ちゃんを自分の手元へ引こうとしたが、「お母さんの方!」と誘導してもらい、上手くいった。赤ちゃんの元気な泣き声が部屋に響いた。

ワイワイ
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一瞬の出来事。脳内では、キリンの出産シーン。ヒトもキリンと同じだ!って感じ。

 赤ちゃんを妻の胸にのせてもらう。もちろん、へその緒はついたまま。助産師さんたちは、母子の状態を見ながらいろいろな処置を行っていく。

 これまで2回出産の場面に立ち合ってきたけど、僕は妻の手を握り励まし、へその緒を切る手伝いをさせてもらっていた。けど、後の部分は全て見えないように配慮され、何も分からなかったし、分かろうとしなかった。

 今回は、全ての処置を見た。へその緒とつながる胎盤。たくさんの出血。僕にとっては初めての経験だった。そこに「驚き」はあったけど、「おそれ」はなかった。この日まで、ともに出産に向き合い、がんばる妻の姿を見て、そして、全てをさらけ出して、一緒にいてくれることに感謝の気持ちすら湧いていた。

 実際に出産するのは、お母さんだけだ。でも、今回の出産は、家族みんなのものだった、と僕は思っている。僕にとっては、助産院で産む、という決断がその一つの要因だったことは間違いない。また、ギリギリまで出てこなかった赤ちゃんの思惑があった気もしている。

 みんなで赤ちゃんを待ち、出てくるときにはみんなで役割を果たして支えた。みんなでがんばれた。僕たちみんな、助産師さんにたくさんエンパワーしてもらった。気持ちよくそれができるのは、僕たちのニーズをしっかりと聞き、できる範囲で叶えようとしてくれているから。できることは「待つ」だけと言っていたけど、そんなことは絶対なくて、一緒にいてくれて応援してくれることが一番のパワーになるんだ、と感じた。

 

ワイワイ
ワイワイ

「待つ」ってことが難しいことは、職業柄よく分かる。「何か」したくなるし、しなきゃいけないって思ってしまう。応援でなく、できてないことに目がいき、心を冷やしてしまうときもある。宮川さんもあいこさんも、本当にすごい!

僕たちにとっての出産

 きっと家庭ごとにそれぞれ違った価値観がある。だから、出産についてみんなで考えて、自分に合ったものを選べればそれでいいと思う。

 今回僕たちは、家族みんなの出産にすることを第一に考えていた。予定日を過ぎるというハプニングさえもみんなの出産になる出来事だった。出産しているときに妻を支える役割をみんなで果たせたこともよかった。妻は「望み通りの出産ができた。」と満足気だった。僕は今まで見えなかったもの(物理的なものだけでなく心理的なものも含めて)が見え出産のイメージが変わった。娘たちは、本当に赤ちゃんが産まれたことに対する驚きと、喜びを体全体で表現していた。安心も加わって涙が流れてきていた。

 宮川さんとあいこさんという信頼できる助産師さんに出逢えたこと。そして、たっぷりと時間と手間をかけて関係を築いてすてきな出産が迎えられたことに、本当に感謝している。海助産院で産めて本当によかった。

 結局は自分。そして、人。信頼できるドクター、助産師さんがいて「ここで産みたい!」って思える場所が見つかることを願っている。僕たちにとってはそれが助産院だった。ものすごくマイノリティな経験なのだろうけど、マジョリティが正解ってことではない、一つの例となった。

ワイワイ
ワイワイ

次回、産後や費用についてのことを簡単にまとめて、ひとまず終わりにしよう!

とりとめもない話になってしまった。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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