これまでの「卒業式」は、もういらないと思った3つの理由

教育

おそらく、どこの学校も卒業式が終わりましたね。卒業式ができなかった学校、卒業式は子どもだけで行った学校、オンライン配信した学校、卒業生と保護者だけの学校、これまで通りの卒業式をおこなった学校。様々な形の「卒業式」があったようです。

今回の卒業式を終えて、僕の考えを残しておこうと思います。

ちなみに、勤務校の卒業式の内容はこんな感じでした。
  ・国歌、校歌
  ・学校長式辞
  ・卒業証書授与(代表者のみ)
  ・子どもの言葉(一人一言ずつ)
      ↓
  ・教室で学活(今回は保護者は行かない。待っている間、スライドショー。)
  ・花道で見送る

※来賓、在校生、祝辞代読、PTAからの祝辞や記念品贈呈、歌や言葉がなしに。

ワイワイ
ワイワイ

どうして、これまでの「卒業式」はいらないと思ったのか、を書いていきます。(ただし、僕がこれまで勤めていた小学校での話になりますの。一例だと思ってください。)

①練習時間が少なくて済む。(卒業生も在校生も)

これまで卒業式を迎えるまでに、卒業生は10時間は練習に費やしていました。自分の言葉を覚えて、誰の後に言うかタイミングを覚えて、みんなで合わせていく。前後の子が言えなくてもフォローできるくらい何度も練習していました。音楽の授業で歌の練習もしていたので、それを合わせるともっとですね。歌は「国歌」、「校歌」、「在校生と歌う歌」、「卒業生の歌」と4曲歌っていました。
在校生はこれより練習時間は少ないですが、ほぼ卒業生中心の練習の中、静かに姿勢よく待つ練習をしていました。(在校生は、5年生だけのところもあれば、3年生から出席するというところもあるそうです。学校によって違います。)

②短い時間で終わることができる。

今回、勤務校では30分程度で式自体は終わり、その後、最後の学活が行われました。この学活では、通知表など様々な配布物も渡せていなかったため、これまでよりやることは多いです。それでも、30分程度で終わらせました。つまり、全部含めて1時間程度で終われたのです。
これまでは、寒い中で長時間立ったり座ったりを緊張感をもって進めていたので、卒業式中に、子どもが倒れたり、気分が悪くなることもありました。そのようなことは、練習中でもあったので、本番も教員はすぐに動けるように緊張感をもって臨んでいました。

③役割は果たしている。

卒業式は、「儀式的行事」です。これの式を通過することによって、小学生であれば「あぁ、これまでいろいろなことがあったなぁ。そして、自分たちはこれから中学生になるんだ。」と実感をもち、次へと気持ちを向けることが期待されます。今回の式でも、十分その役割を果たしたのではないでしょうか。子どもたちの表情は晴れやかに見えました。


ワイワイ
ワイワイ

他の先生の意見も、「これでいけるならこれでいいやん。」が多数でした。可能であれば、この形で来年度も進めたいという人が多そうです。


と、ここまで書いてきるときに、「流動的な『学び合い』の授業づくり」の著者である高橋先生のブログを読みました。

高橋先生は、『卒業式は、子どもにとってだけでなく、教員が「終わった!」という充実感を得る機能があったのだ。』と分析されています。

小学校生活は6年間あります。担任になる先生だけでなく、いろいろな先生がずっとかかわってきます。最後の担任をしていないだけで、思い入れのある先生も多いです。「あの子たちがこんなに立派になって…。」と涙する先生も少なくありません。
また、6年生の担任の立場で考えると、他の学年に比べて業務が多いことが挙げられます。6年生は様々な場面で活躍してほしいので、たくさんの行事で気を遣い、子どもたちと共に中心となって動かなければなりません。卒業を控えて、中学校との連絡などもあります。卒業式は、その一年の苦労が報われる日だ、ということも確かに納得できます。


ワイワイ
ワイワイ

じゃあ、結局、僕はどう考えたかというと…

僕個人の意見としては、やはり、これまでの「卒業式」を行う必要はない、と思っています。


ただ、高橋先生のブログを読んで、自分の考えだけでなく、他の教員や地域、保護者の考えもあるので、それらを踏まえた上で、みんなの「納得解」や「最適解」を出していくことがいいな、と思いました。

今回の出来事によって、全ての人が卒業式について改めて考えるきっかけをもらえたことが一番大きいです。(学校は過去や前例を大切にし、思考停止でやり続けてしまう傾向があるので。)来年度、話し合う場を設けて、みんなで新しい卒業式を作っていきたいです。

コメント